※本サイトに掲載している体験談は個々の患者さんのご経験をインタビューした
内容に基づき作成しています。病状や経過、治療への向き合い方などはお一人おひとり異なります。
内容に基づき作成しています。病状や経過、治療への向き合い方などはお一人おひとり異なります。
パグ様の体験談
発症 / 診断
トレーニング中に感じた痛みは、肝細胞がんだった
当時、トレーニング中に痛みが2日経っても治まらず、肋骨骨折を疑いクリニックを受診したのです。触診から痛みの原因は骨折ではないとわかり、エコー検査で肝臓に影が見つかりました。すぐに紹介状を書いてもらい、翌日に総合病院を受診。詳しい検査の結果、痛みの原因は肝臓の腫瘍だったことがわかりました。手術をするまでは良性か悪性かはわかりませんでしたが、手術後に悪性が確定し、肝細胞がんの診断を受けました。
がんの告知を受けた時は、がんに対する知識もなく、かといって真実を知ることも怖くて自分から調べることはできず、「再発しなければ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせるようにしていました。がんと聞いてショックではありましたが、そこからすぐに死を意識することはありませんでした。
がんの告知を受けた時は、がんに対する知識もなく、かといって真実を知ることも怖くて自分から調べることはできず、「再発しなければ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせるようにしていました。がんと聞いてショックではありましたが、そこからすぐに死を意識することはありませんでした。
肝切除 / 焼灼
腫瘍が大きく危険な状態だったため、すぐに手術を決意
総合病院の医師からは、腫瘍が10cm以上と大きかったため、受診をした時点で「本当に危険な状態である」と告げられ、その日のうちに予定を決め、2週間後に入院して開腹手術を受けました。切除した腫瘍の病理検査の結果、悪性腫瘍だと判明し、がんの告知を受けたのです。
手術から目が覚めた時、とても痛くて苦しかったことを覚えています。入院は2週間ほどでした。医師からは、腫瘍はすべて切除できたこと、退院後は定期的な検査が必要なこと、同時に再発する可能性があることについて、話がありました。
手術から目が覚めた時、とても痛くて苦しかったことを覚えています。入院は2週間ほどでした。医師からは、腫瘍はすべて切除できたこと、退院後は定期的な検査が必要なこと、同時に再発する可能性があることについて、話がありました。
開腹手術を受けた痕の写真
手術後初の検診で再発が発覚し絶望を感じた
手術から2か月後の定期検診で再発が見つかり、ステージはⅣに進行してしまいました。やっと職場に戻り、仕事も復帰した矢先のことで、手術後初の検診での再発に絶望を感じました。肝臓内に複数の腫瘍が散見されたため、医師からは「抗がん剤を使いましょう」と提案されました。
再発を機に両親からセカンドオピニオンを勧められ、複数の医師の意見を参考にした結果、別の病院に転院し、肝動脈塞栓療法(TAE)と肝動注化学療法(HAIC)を受けました。HAICは、腕からカテーテルを挿入し、大きな腫瘍に対し直接抗がん剤を注入する治療で、その反動なのか、高熱が出たのが辛かったです。その後も、2年後に再々発があり、HAICと開腹手術を行っています。
再発を機に両親からセカンドオピニオンを勧められ、複数の医師の意見を参考にした結果、別の病院に転院し、肝動脈塞栓療法(TAE)と肝動注化学療法(HAIC)を受けました。HAICは、腕からカテーテルを挿入し、大きな腫瘍に対し直接抗がん剤を注入する治療で、その反動なのか、高熱が出たのが辛かったです。その後も、2年後に再々発があり、HAICと開腹手術を行っています。
看護師からの一言
看護師 橋本様
高熱は抗がん剤による治療の代表的な副作用の一つです。高熱に限らず、人によって副作用の内容や出方はさまざまなので、何クールか繰り返す治療の場合、自分にはいつ頃、どんな症状が出るというパターンを見出すことができれば、辛い症状に薬剤等で先手を打つことができますし、それに合わせてお仕事や日常生活の予定を調整したり、ご自分なりの準備や対処、コントロールができるようになると思います。
副作用への対処については、ご自身で判断せず、必ず医師や薬剤師・看護師等にご相談ください。
薬物療法
再発・転移が見つかり抗がん剤治療を続けた
再発と同時に、肺にも転移があることがわかり、TAEの退院後、抗がん剤治療も開始しました。医師からは副作用が強い場合は中止するように言われていましたが、「転移に対する治療はこの薬しかない」「とにかく治療を頑張らなくては」という思いで、副作用が出ても抗がん剤治療を続けていました。副作用が続いたため受診したところ、すぐに休薬となり、次の治療(HAIC)に向けてそのまま入院となりました。
翌年の春からは、別の抗がん剤治療に変更し開始しました。2年近く続けましたが、腹膜炎を発症し、それを機に終了となりました。抗がん剤をやめることで「再発したらどうしよう」という怖さはありましたが、幸いその後は再発なく経過しています。
翌年の春からは、別の抗がん剤治療に変更し開始しました。2年近く続けましたが、腹膜炎を発症し、それを機に終了となりました。抗がん剤をやめることで「再発したらどうしよう」という怖さはありましたが、幸いその後は再発なく経過しています。
薬剤師からの一言
薬剤師 阿部様
肝細胞がんの薬物治療の目的は、治癒を目指すというよりも、病状を悪化させずに生活を維持することの場合が多いですから、生活の質を大切にしていただきたいと思います。患者さんの副作用のご負担が大きいのであれば、「ちょっと休薬してみませんか」と、少し治療をお休みする提案をさせていただくこともあります。悩んだ時は、治療の目的や方針を先生ともよく話し合い、ご一緒に対応を考えていきましょう。
職場の仲間は治療に専念できるよう快く送り出してくれた
がんの診断前に、腹痛が出た時点でクリニックを受診したい旨は職場に伝えていました。危険な状態であるとわかった時も、翌日には現状の報告をしました。職場の仲間は、私が大病になるとは思っておらず、とても驚いていましたが、「仕事の心配はしなくていいから、しっかり治療しておいで」と、治療に専念できるよう快く送り出してくれました。手術の退院後はしばらくお休みをいただきましたが、無事復帰することができました。入院前の日常生活に戻れるまで1週間ほどかかったと思います。
再発の治療時は、TAE、HAICでの治療で入退院を繰り返していたため、仕事は休ませていただき、一通りの治療を終えて復帰しました。職場の仲間には必要以上に心配されたくなかったこともあり、いつも自分から「大丈夫です」と言っていたからか、普段通りに接してくれたことは有り難かったです。
再発の治療時は、TAE、HAICでの治療で入退院を繰り返していたため、仕事は休ませていただき、一通りの治療を終えて復帰しました。職場の仲間には必要以上に心配されたくなかったこともあり、いつも自分から「大丈夫です」と言っていたからか、普段通りに接してくれたことは有り難かったです。
家族や友人の応援が、自分自身の活力に
両親は初めての手術の時は「取ってしまえば大丈夫でしょう」と楽観していましたが、再発がわかった時はさすがにショックを受けていました。とはいえ「また治療を頑張っていこう」と応援してくれて、セカンドオピニオンについても一緒に考えてくれました。治療が一段落して、私がトレーニングをしていた時も、内心はやめてほしいと思っていたと思うのですが、私の自由にさせてくれました。
また友人達も常に私を応援してくれていました。その言葉が「戦っている姿、そして元気な姿を見せたい」という自分自身の活力になっていました。
また友人達も常に私を応援してくれていました。その言葉が「戦っている姿、そして元気な姿を見せたい」という自分自身の活力になっていました。
がんとの向き合い
「がんと闘う方々に勇気を伝えたい」と思うように
闘病中は、同じ病気と向き合っていた若い女性のブログに励まされていました。残念ながらその方が亡くなってしまい、彼女の遺志を継ぐというのか、自分も「がんと闘う方々に勇気を伝えたい」と思うようになりました。治療が抗がん剤治療のみになったことを機に、トレーニングを本格的に再開、がんを公表し、目標にしていた大会に出場、勝利を収めることができました。友人たちも泣いて勝利を喜んでくれて、自分も嬉しかったです。
また、私のように若くしてがんになった方々が集まる患者会にも入りました。仲間が増え、同じように辛い経験をされた方と繋がることでも、勇気をもらえています。
現在は、抗がん剤治療も終え、3か月に1度、定期検診で経過観察しています。腫瘍の再発や転移はなく、落ち着いているものの、検査の度、「再発していたらどうしよう」という不安はあります。今の状況を受け止めながら、あまり先のことは考えないように過ごしています。
また、私のように若くしてがんになった方々が集まる患者会にも入りました。仲間が増え、同じように辛い経験をされた方と繋がることでも、勇気をもらえています。
現在は、抗がん剤治療も終え、3か月に1度、定期検診で経過観察しています。腫瘍の再発や転移はなく、落ち着いているものの、検査の度、「再発していたらどうしよう」という不安はあります。今の状況を受け止めながら、あまり先のことは考えないように過ごしています。
読者へのメッセージ
がんになっても、闘病しても、人生は続きます。自分の好きなこと、大切にしていることを続けてほしいと思います。