発症 / 診断に関する体験談
※本サイトに掲載している体験談は個々の患者さんのご経験をインタビューした
内容に基づき作成しています。病状や経過、治療への向き合い方などはお一人おひとり異なります。
内容に基づき作成しています。病状や経過、治療への向き合い方などはお一人おひとり異なります。
人間ドックがきっかけで発覚した肝臓がん
30歳の節目に、妻の勧めで人間ドックを受けることにしました。それまで大きな病気をしたこともなく、特に何かを気にすることなく受診しました。ほどなくして届いた検査結果には「腫瘍マーカーが高いため要精密検査」という指示。不安を抱えながら肝胆膵内科のある病院へ向かうと、すぐに検査入院することに。その時点ではまだ詳しい説明もなく、何かの前触れかもしれないともやもやしつつも、ただ指示に従って検査を受けるだけでした。
さらに、その病院から紹介された大学病院での精密検査の結果、告知されたのは「ステージⅡの肝臓がん」。ショックでした。正直パニック状態で、その日は、ただただ説明を聞くだけで、先生に質問なんてできなかったと思います。自分が「がん」になるなんて思ってもいなかったので、家族のこと、仕事のこと、どう生活していけばいいのか正直わからず、状況を受け入れるのに相当な時間がかかったと思います。
帰宅して妻に「肝臓がんだった」と伝えると、ショックを受けた様子であると共に、なんとなく「がんの可能性もあるのかな」という気持ちもあったのか、何か覚悟をしたような雰囲気もあったように思います。
さらに、その病院から紹介された大学病院での精密検査の結果、告知されたのは「ステージⅡの肝臓がん」。ショックでした。正直パニック状態で、その日は、ただただ説明を聞くだけで、先生に質問なんてできなかったと思います。自分が「がん」になるなんて思ってもいなかったので、家族のこと、仕事のこと、どう生活していけばいいのか正直わからず、状況を受け入れるのに相当な時間がかかったと思います。
帰宅して妻に「肝臓がんだった」と伝えると、ショックを受けた様子であると共に、なんとなく「がんの可能性もあるのかな」という気持ちもあったのか、何か覚悟をしたような雰囲気もあったように思います。
※患者さんの名前は仮名です。
他のがんの経過観察時に見つかった肝臓の影
いまから9年前、私の肝臓がん発症はまったく予期せぬものでした。それまで私は、乳がんと子宮頸がんに罹患していましたが、その経過観察中のCTで偶然、肝臓に「影」が見つかったのです。
精密検査をするため、すぐにダイナミックCTの予約を取りました。結果を聞きに病院に行くと、消化器内科に呼ばれました。「内科に通されるということは、手術しなくても大丈夫なパターンかな?」と勝手に安堵していましたが、先生からは「おそらく肝臓がんだと思われます。開腹して切除が必要です」と言われました。病院に行く前にいろいろと治療法を調べていたので「焼灼術ではダメなんですか?」と聞いてみると、「あなたの場合は適応外です。第一選択は切除になるので、今から外科に行ってください」と言われ、安堵の気持ちはあっという間に崩れ去りました。
泣きながら外科に入ると、先生から「造影剤の染まり方と抜け方から肝臓がんの可能性が高いです。ステージがⅡからⅢの中間ぐらいです」と告げられました。私は一瞬にしてパニック状態に陥って、号泣していました。これまで肝機能も問題ない、お酒もタバコも飲まない、肥満もない自分が、どうして肝臓がんになるのか?まったくわからない、納得いかないというのがその時の気持ちだったと思います。
精密検査をするため、すぐにダイナミックCTの予約を取りました。結果を聞きに病院に行くと、消化器内科に呼ばれました。「内科に通されるということは、手術しなくても大丈夫なパターンかな?」と勝手に安堵していましたが、先生からは「おそらく肝臓がんだと思われます。開腹して切除が必要です」と言われました。病院に行く前にいろいろと治療法を調べていたので「焼灼術ではダメなんですか?」と聞いてみると、「あなたの場合は適応外です。第一選択は切除になるので、今から外科に行ってください」と言われ、安堵の気持ちはあっという間に崩れ去りました。
泣きながら外科に入ると、先生から「造影剤の染まり方と抜け方から肝臓がんの可能性が高いです。ステージがⅡからⅢの中間ぐらいです」と告げられました。私は一瞬にしてパニック状態に陥って、号泣していました。これまで肝機能も問題ない、お酒もタバコも飲まない、肥満もない自分が、どうして肝臓がんになるのか?まったくわからない、納得いかないというのがその時の気持ちだったと思います。
Black Pug様
50代
後半
後半
同居家族:
一人暮らし
治療歴
同居家族:
一人暮らし
性別:
女性
現在の状態:
経過観察中
既往歴:
乳がん、子宮頸がん
※患者さんの名前は仮名です。
完治したC型肝炎の経過観察で肝臓がん発覚
C型肝炎が完治して半年後の定期検査で、肝臓がんが見つかりました。「C型肝炎が治った後にがんが見つけるというのはよくあることだから、定期検査をちゃんとやっていこうね」とは言われていたものの、「え? やっぱりできちゃったんだ……」とショックでした。
幸い、早期発見で1センチ前後と小さく、先生から「ラジオ波焼灼術で済むから大丈夫だよ」と言われたので、少し安心しました。先生が深刻にならずにサラッと言ってくれたのが、逆に心強かったです。「ステージで言うといくつですか?」みたいな質問を私もしなかったんですけど、大きさ的に初期なんだろうなとは勝手に思っていました。ラジオ波焼灼術は無事に成功して、やがて経過観察に入りました。
肝臓がんになって、私には「やれるときにやりたいことをやっておこう」という覚悟ができました。私はオートバイに乗るのが好きなんですが、昔から憧れていた長距離のツーリングを意識的に計画しました。実際、10日間や1か月などの長期休みをとって、日本中隅々までキャンプツーリングに行きました。
幸い、早期発見で1センチ前後と小さく、先生から「ラジオ波焼灼術で済むから大丈夫だよ」と言われたので、少し安心しました。先生が深刻にならずにサラッと言ってくれたのが、逆に心強かったです。「ステージで言うといくつですか?」みたいな質問を私もしなかったんですけど、大きさ的に初期なんだろうなとは勝手に思っていました。ラジオ波焼灼術は無事に成功して、やがて経過観察に入りました。
肝臓がんになって、私には「やれるときにやりたいことをやっておこう」という覚悟ができました。私はオートバイに乗るのが好きなんですが、昔から憧れていた長距離のツーリングを意識的に計画しました。実際、10日間や1か月などの長期休みをとって、日本中隅々までキャンプツーリングに行きました。
Q様
50代後半
同居家族:
妻
治療歴
同居家族:
妻
性別:
男性
現在の状態:
経過観察中
既往歴:
C型肝炎、肝硬変
※患者さんの名前は仮名です。
C型肝炎の治療後に、突然肝細胞がんと診断され落ち込んだ
人間ドックで肝臓の検査数値に異常があり、精密検査でC型肝炎の診断を受けていました。インターフェロンなどの治療を8年ほど行い、ウイルスが消失したため、その後は半年おきに血液検査、1年ごとにCTで経過観察をしていたところ、血液検査で異常値が出て、CTで肝細胞がんがわかりました。C型肝炎ウイルスの治療をしていた頃にもらったパンフレットには、ウイルスが消失してもがんになること、がんになる前に肝硬変になるプロセスがある」と書いてあったため、肝硬変になるかもしれないと気持ちの準備はありましたが、いきなりがんの診断だったので、とても驚きました。当時調べた肝細胞がんの5年生存率は他のがんと比べても低く、また再発するリスクも高いと知り、大変落ち込みました。同時期に遠方の母が心不全で亡くなったこともあり、諸手続きや法要なども自分がやらなくてはならず、この頃のストレスは大きかったです。
※患者さんの名前は仮名です。
C型肝炎の治療後の定期受診で肝細胞がんが見つかった
40代後半に、会社の検査でC型肝炎ウイルスに感染していることがわかりました。当時症状はなく、数年後に治験に参加したことはありましたが、その後も定年になるまでは、医療機関に通うこともありませんでした。定年を機にインターフェロン治療に取り組み、ウイルスを封じ込めたと思っていたのですが、フォローアップのための年4回の定期受診の際、エコー検査で肝細胞がんが見つかったのです。
肝炎の患者会を通してC型肝炎ウイルスが消えてもがんになることは聞いてはいたものの、自分としては青天の霹靂でした。あと何年生きられるのだろう?と不安になり、すぐに生存率や余命について調べ数字をみて頭に残り落ち込みました。時間が経過して冷静になってみると、生存率や余命は診断時のステージによって差があることがわかり、私の場合は定期的な受診のおかげで、ごく早期に発見できたのは幸いだったと思い直すことができました。
肝炎の患者会を通してC型肝炎ウイルスが消えてもがんになることは聞いてはいたものの、自分としては青天の霹靂でした。あと何年生きられるのだろう?と不安になり、すぐに生存率や余命について調べ数字をみて頭に残り落ち込みました。時間が経過して冷静になってみると、生存率や余命は診断時のステージによって差があることがわかり、私の場合は定期的な受診のおかげで、ごく早期に発見できたのは幸いだったと思い直すことができました。
Renn様
70代後半
同居家族:
妻、子供
治療歴
肝切除 / 焼灼
その他治療
同居家族 :
妻、子供
発症時年齢:
70代
現在の状態:
経過観察中
既往歴 :
尿毒症、うつ病、腹部大動脈瘤、心筋梗塞
※患者さんの名前は仮名です。
トレーニング中に感じた痛みは、肝細胞がんだった
当時、トレーニング中に痛みが2日経っても治まらず、肋骨骨折を疑いクリニックを受診したのです。触診から痛みの原因は骨折ではないとわかり、エコー検査で肝臓に影が見つかりました。すぐに紹介状を書いてもらい、翌日に総合病院を受診。詳しい検査の結果、痛みの原因は肝臓の腫瘍だったことがわかりました。手術をするまでは良性か悪性かはわかりませんでしたが、手術後に悪性が確定し、肝細胞がんの診断を受けました。
がんの告知を受けた時は、がんに対する知識もなく、かといって真実を知ることも怖くて自分から調べることはできず、「再発しなければ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせるようにしていました。がんと聞いてショックではありましたが、そこからすぐに死を意識することはありませんでした。
がんの告知を受けた時は、がんに対する知識もなく、かといって真実を知ることも怖くて自分から調べることはできず、「再発しなければ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせるようにしていました。がんと聞いてショックではありましたが、そこからすぐに死を意識することはありませんでした。
※患者さんの名前は仮名です。
B型肝炎からステージⅡの肝細胞がんへ移行
大学生の頃、献血を機にB型肝炎ウイルスに感染していることがわかりました。10年ほど後に、母も肝炎を発症したことで、出産時の母子感染であることを知りました。感染が判明したときは特に症状もなく、経過観察していけば良いとのことでしたが、大学卒業後2年間、パラグアイでJICA海外協力隊の活動をして帰国した年に肝炎を発症し、2年ほど、炎症を抑えるための注射のためにほぼ毎日通院治療を続けました。炎症が落ち着いた後は、3ヶ月おきに血液検査等で経過を診ていただく日々でした。
夫の転勤等が落ち着き、産休代替教員として小学校に勤務し始めましたが、その2ヶ月後にクリニックの定期検診の際の肝臓エコーで複数の影が存在したため、総合病院でCTやMRI等で精密検査をしたところ、腫瘍の数からステージⅡの肝細胞がんと診断されました。
B型肝炎ウイルス感染から肝細胞がんに移行する例はそれほど多くないと聞いていたことや、肝細胞がんは比較的高齢の方の病気だと思っていたこともあり、告知を受けたときは、「まさか」と信じられない気持ちと、「なってしまったのか」との気持ちが交互に訪れ、頭の中が真っ白になるというのはこういうことかと思うくらい何も考えられない状態でした。
がんと聞くと、どうしても死を意識してしまうこともあり、家族と一緒の時は忘れられても、一人になるといつまで息子と一緒に過ごせるのかなどと不安になってしまい辛いこともありました。
夫の転勤等が落ち着き、産休代替教員として小学校に勤務し始めましたが、その2ヶ月後にクリニックの定期検診の際の肝臓エコーで複数の影が存在したため、総合病院でCTやMRI等で精密検査をしたところ、腫瘍の数からステージⅡの肝細胞がんと診断されました。
B型肝炎ウイルス感染から肝細胞がんに移行する例はそれほど多くないと聞いていたことや、肝細胞がんは比較的高齢の方の病気だと思っていたこともあり、告知を受けたときは、「まさか」と信じられない気持ちと、「なってしまったのか」との気持ちが交互に訪れ、頭の中が真っ白になるというのはこういうことかと思うくらい何も考えられない状態でした。
がんと聞くと、どうしても死を意識してしまうこともあり、家族と一緒の時は忘れられても、一人になるといつまで息子と一緒に過ごせるのかなどと不安になってしまい辛いこともありました。
※患者さんの名前は仮名です。
ある日突然の腹痛から「肝細胞がんステージⅣ」と診断
大学生の時に血液検査で「オーストラリア抗原」陽性がわかりました。これは、のちのB型肝炎ウイルスです。オーストラリア抗原キャリアというだけで症状はなく、普通の生活をしていました。
それから18年後、B型肝炎を発症しましたが、インターフェロン治療で抗原の陰性化を達成しました。その後は定期的な経過観察が必要だと言われ、数年は検査を続けていましたが、抗原は陰性のままでしたし、職場の定期健診での肝臓の検査数値も特に悪くなかったため、かかっていた病院の医師が開業したタイミングで経過観察をやめてしまいました。その後は「治った」との認識で生活していました。
ところが50代のある時突然、それまでに感じたことのない腹痛が出現したため、翌日受診したところ、「肝細胞がんステージⅣ」と診断されたのです。あまりにも突然で、当時まだ大学生だった子どもたちのこと、仕事のことなど、考えることが多すぎてまとまらず…、あの状態を頭が真っ白な状態というのでしょうね。
※患者さんの名前は仮名です。
慢性肝炎の定期検査で肝臓がんが発覚
30年ほど前に行った副鼻腔炎の手術前の血液検査でB型肝炎ウイルスに感染していることがわかりました。当時、肝臓の検査数値が多少悪く、慢性肝炎との診断を受けた2~3年後から、週2回ほど総合病院で注射を打ち、飲み薬を毎日飲んでいました。その頃から、肝細胞がんになる可能性があるから治療を続けておいた方が良い、と言われていたので、定期的に通院しながら半年から1年に1度はエコー、CT、MRI等の検査も受け経過観察を続けていました。体調は良好でしたから、がんになるとは全く思っていませんでした。ところが定期検査で肝臓がんが見つかったのです。
ただ、見つかったのは肝臓の端のほう、皮膚に近い場所に1つの腫瘍だけで、手術で簡単に切除できると言われたこともあり、あまりショックを感じることはありませんでした。早期に発見できたので、医学も進歩しているし切除して再発しなければ大丈夫だろうと考えていたのです。
ただ、見つかったのは肝臓の端のほう、皮膚に近い場所に1つの腫瘍だけで、手術で簡単に切除できると言われたこともあり、あまりショックを感じることはありませんでした。早期に発見できたので、医学も進歩しているし切除して再発しなければ大丈夫だろうと考えていたのです。
※患者さんの名前は仮名です。
ステージⅡの肝細胞がんの告知を受けたショックでパニックに
職場の人間ドックの血液検査で肝臓の数値に異常を指摘され、かかりつけのクリニックで受けた超音波エコー検査でも影が見つかったため、大学病院で再検査を受けました。それまで毎年受けていた人間ドックでは異常はありませんでしたが、今から思うと疲れやすくなった、食欲が低下していたなどの傾向はあったように思います。大学病院ではCT、MRI、腫瘍マーカー等の検査を行い、1週間後の結果を待ちましたが、「何か重大な病気だったらどうしよう」と思うと落ち着かず、ふわふわした気持ちで過ごしていました。子どもが「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と言ってくれたのが心の支えでした。
結果を一人で聞くのは不安で、夫に付き添ってもらい、ステージⅡの肝細胞がんの告知を受けました。私は告知を受けたショックでパニックになってしまい、先生の話が頭に入りませんでした。先生は治療についても、タブレットなどを使いながら分かりやすいよう説明してくれましたが、私は前向きな気持ちになれず、同行してくれた夫にしっかり聞いてもらえたのは助かりました。2つできていた腫瘍のうち1つが大きいため、すぐに治療を開始した方が良いと言われ、次回の診察までに方針を決めることになりました。
結果を一人で聞くのは不安で、夫に付き添ってもらい、ステージⅡの肝細胞がんの告知を受けました。私は告知を受けたショックでパニックになってしまい、先生の話が頭に入りませんでした。先生は治療についても、タブレットなどを使いながら分かりやすいよう説明してくれましたが、私は前向きな気持ちになれず、同行してくれた夫にしっかり聞いてもらえたのは助かりました。2つできていた腫瘍のうち1つが大きいため、すぐに治療を開始した方が良いと言われ、次回の診察までに方針を決めることになりました。
※患者さんの名前は仮名です。
自宅での昏倒から救急搬送され肝細胞がんステージⅢと診断
自宅で昏倒し、救急車で搬送されたことを機に肝細胞がんがわかりました。それまでは肝炎の既往はありませんでしたが、かかりつけ医で定期的にしていた血液検査から、肝臓の数値が思わしくないことはわかっており、薬剤を処方してもらっていました。大事に至る状態ではなかったこともあり、ずっと経過観察をしていたのですが、前年の暮れから息子夫婦が一時的に同居したこと等で、多少ストレスが溜まっていたかもしれません。
搬送中は意識を失っており、搬送された救急病院では手に負えないとのことで、近くの大学病院に移送されました。目が覚めると病床に家族が駆けつけてきていました。とりあえず応急処置をしていただき、そのまま入院して詳細に検査をしたところ、肝細胞がんステージⅢであることがわかりました。身近にがん患者がいなかったこともあり、初めはピンときませんでした。がんは不治の病とのイメージだったので、先生に余命を尋ねたのですが、具体的な数値をきいて、ショックを受けました。
搬送中は意識を失っており、搬送された救急病院では手に負えないとのことで、近くの大学病院に移送されました。目が覚めると病床に家族が駆けつけてきていました。とりあえず応急処置をしていただき、そのまま入院して詳細に検査をしたところ、肝細胞がんステージⅢであることがわかりました。身近にがん患者がいなかったこともあり、初めはピンときませんでした。がんは不治の病とのイメージだったので、先生に余命を尋ねたのですが、具体的な数値をきいて、ショックを受けました。
※患者さんの名前は仮名です。
腹膜内悪性腫瘍がわかったとき医師に「勝ちます」と言った
私は30代から毎年人間ドックを受けていたのですが、50代の頃から肝臓の腫瘍マーカーであるAFPの高値を指摘されていました。CT上では肝臓に異常はなかったため、経過を見ていましたが肝臓ではなく腎細胞がんがわかり、右腎臓を切除しています。術後のフォローアップ検査でAFPの異常高値がみられたため、消化器内科を紹介され、そちらで経過観察を続けていたところ、50代で腹膜内悪性腫瘍がわかりました。当時はこれといった症状はなく「原発不明がん」との診断で、術後は抗がん剤治療を開始しました。のちに、これが肝外発育性肝細胞がんに起因するものだと判明しました。
50代で腎細胞がんとなり、右腎を切除してしまったことで大きな喪失感に襲われていましたが、翌年に腹膜内悪性腫瘍がわかったときは、なぜか消化器内科の先生に「勝ちます」と言ったことを覚えています。振り返ってみると、「生きたい」との思いがそう言わせたのかもしれません。
50代で腎細胞がんとなり、右腎を切除してしまったことで大きな喪失感に襲われていましたが、翌年に腹膜内悪性腫瘍がわかったときは、なぜか消化器内科の先生に「勝ちます」と言ったことを覚えています。振り返ってみると、「生きたい」との思いがそう言わせたのかもしれません。
※患者さんの名前は仮名です。
先生からの一言
肝胆膵内科長 奥坂 拓志 先生